リヨニカ日記帳 vol.1 からいは、つらい

リヨニカ日記帳 vol.1 からいは、つらい

元旦は、引きこもっていようと思ったけど、食べるものが何もないことに気がつき、買い出しに外に出た。
行きつけの「肉のハナマサ」で「マッサマンカレー」という美味しそうなレトルトを発見👀!
私はカレーが大好きだけど、からいものがてんでダメで、甘口限定のカレー好き。
しかし、マッサマンカレーのパケには、からさについて言及されておらず…
こういうとき、私は楽観的で都合のいいようにとらえてしまうため、「いけるっしょ」と思って購入した。

実際食べてみると、からくて「食べられない」レベルだった🔥
私にとっての「からい」は、「痛い」で「つらい」。
全面に痛いがきて、奥の方の美味しさはかき消される😭
家にあるアーモンドミルクで薄めてみた(2倍以上に)ところ、なんとか食べられるレベルに。
美味しさ50、痛さ50。
鎮痛のために水を飲むと、お腹がぽちゃぽちゃになってしまう。
この美味しさを得るための試練だと思って挑んだけど、この世には「痛さ」を取り除いた甘口のカレーが存在するのに、挑むモチベーションって何なんだろうと考えていた🤔。

そこで疑問に感じたのは、世の中の「からいものを食べられる人々」は、そもそも「痛さやつらさを感じない」のか、それとも「痛さやつらさをも美味しさと捉えることができる」のか、「痛さやつらさをあえて楽しんでいるのか」。

このつらいトレーニングを重ねていけば。「痛さやつらさを感じない」、100美味しいと楽しめるようになれるという見込みがあるならば、試練を乗り越える意味も感じられる🙌。
でも、「痛さやつらさを感じる」上で、そこに美味しさや楽しさを見出すのは、私には難しい気がする。